石田三成生捕覚書(古橋村高橋家文書)
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関ヶ原合戦に敗れた石田三成(1560―1600)の捕縛について、その顛末を記した覚書。嘉永7年(1854)に、越前福井藩の藩士と推定される田中勘助(生没年不詳)が伊香郡古橋村(長浜市木之本町古橋)を訪れ、捕縛の経緯を書き記した。関ヶ原合戦後、三成は、母方の故郷である古橋村に逃れ、同じ北近江出身の武将である田中吉政(1548―1609)の家臣によって捕らえられ、京都六条河原にて小西行長(?―1600)、安国寺恵瓊(?―1600)らとともに処刑された。なお、田中勘助は、三成を捕縛した田中伝左衛門の子孫という。
項目 | 内容 |
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資料名称 | 石田三成生捕覚書(古橋村高橋家文書) |
権利 | 著作権なし-他の法的制限あり |
分野カテゴリ | 古文書 |
時代カテゴリ | 江戸時代 |
員数 | 1通 |
材質技法 | 紙本墨書 |
寸法(cm) | 縦27.5、横38.2 |
時代・制作年 | 嘉永7年(1854)4月13日 |
文化財指定 | 長浜市指定文化財 |
所蔵 | 長浜城歴史博物館 |
登録番号 | B976 |