企画展「祈り、捧ぐ、つなぐ ―川道のオコナイを中心に―」
会期:令和8年2月14日(土)~3月29日(日)
開催趣旨
「オコナイ」は、五穀豊穣などを祈願する伝統行事として知られています。全国的に行われている民俗行事ですが、湖北地域にはオコナイを実施する村落が特に密集して存在しています。
その中で最大規模のものが、「川道のオコナイ」です。長浜市川道町では、7つの庄司(東村、西村、中村、藤之木村、川原村、東庄司村、下村)ごとに1俵の鏡餅をつくり、「献鏡屋台(けんきょうやたい)」と呼ばれる神輿状の台に載せて神社に奉納していました。
それぞれの村では、宿(やど)を務める当番2軒がオコナイ行事の準備を担当しました。当番宅は集会所として使用されることから畳や襖、玄関、風呂を新調したり、料理を振る舞ったりと負担は小さくありませんでした。それに加えて少子高齢化などによる担い手不足、さらにはコロナ禍の影響を受け、今後の存続が危ぶまれる中、令和3年(2021)以降、自治会が主体となって改革を実施してきました。鏡餅を1個とする、慣習で認めてこなかった女性参加を解禁するなど、「持続可能」をキーワードに内容を大きく変更しました。
今回の企画展では、改革前の行事の姿を記録し、使用されていた道具等を通じてかつての行事の様子を紹介します。また、令和の改革以前に行われた改革の記録についても触れ、民俗行事を次世代に繋いでいく人々の姿に注目します。
あわせて、令和7年(2025)に実施した長浜市域のオコナイ行事の現状に関するアンケート調査の結果についても紹介します。
本展を通じて人々の生活や社会様式の変化の影響を受け、変わりゆく地域の伝統行事の価値を、改めて見直す機会となれば幸いです。
関連事業
①展示説明会
日 時:令和8年2月14日(土)午後1時30分~
会 場:2階展示室
※聴講料無料、申込不要、要入館料
②友の会展示解説講座※長浜城歴史博物館友の会会員限定
日 時:令和8年3月4日(水)午後1時30分~
会 場:長浜城歴史博物館 地階研修室
主な展示資料
第1章 祈りのすがた ― 川道のオコナイとは何か
オコナイは五穀豊穣や村の安寧を願う民俗行事です。川道のオコナイは、遅くとも江戸時代中期から現在に至るまで地域住民の手によって脈々と伝承されてきました。
第1章では、オコナイとは何か、いつ、どのように始まったのかをひもときながら、川道という土地に息づく祈りの姿について紹介します。
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江州浅井郡川道村諸色明細帳
享保9年(1724)
縦28.4cm×横19.7cm
川道神社蔵
「惣鎮守八王子祭礼二月朔日川道内小割七村頭人七組鏡餅供申候右拾四人百姓之内一村ニ弐人宛巡番ニ致シ」との記述がみられる。このことから、遅くとも江戸時代中期には、現在知られている川道のオコナイと大枠において共通する形態が成立していたと考えられる。各庄司2人ずつ計14人が頭人として務めるのは平成時代まで川道で実施されていたオコナイの姿と変わらない。なお、明治3年(1870)以降は7つの鏡餅を川道神社の拝殿に供えていたが、この資料が記された当時は観音堂に鏡餅を供えていた。このことを「堂行き」といい、この呼称は今も年長者に伝わる。
第2章 捧ぐかたち ― 道具と儀礼の風景
オコナイで用いられてきた道具やその扱いには伝統と歴史があります。
第2章では、実際に使用されてきた道具を通して、儀礼の様子をたどり、捧ぐという行為の具体的なかたちを見つめます。
輪
径81.3㎝、高さ25.4㎝
川道自治会(東庄司村)蔵
餅搗きの際に使用する餅の形を整えるための木製の枠。鏡餅は、1俵の糯米(もちごめ)を2回に分けて蒸した後に、杵で搗いて餅状にする。すべての餅を一つの臼にまとめた後、その臼から餅型が固定された板(ゲス板)に餅を移す。その後、揉方(餅を揉む係)が餅の形を整え、最後に輪伏(わふせ庄司によっては輪方という)が餅の上から輪をかぶせる。鏡餅の出来栄えに関わる失敗の許されない場面であり、鏡搗きのハイライトである。
第3章 未来につなぐ― 川道のオコナイ改革歴と長浜市域のオコナイの現在
時代の変化とともに、オコナイの実施状況も変わり続けてきました。川道のオコナイ改革の歩みを振り返るとともに、令和7年(2025)に実施した長浜市域におけるオコナイの現状に関するアンケートの調査結果を紹介します。
第3章では、オコナイを未来へつなぐために、地域が選び取ってきた現在の姿について考えます。

昭和拾九年度決議録
昭和19年(1944)
縦27.3×横19.8㎝
川道自治会蔵
川道では、オコナイが開催されるおよそ1カ月前にあたる2月中旬から神事寄り(寄合)などで、その年のオコナイの実施内容について検討が行われる。太平洋戦争中の昭和19年(1944)~昭和21年(1946)の3年間は、鏡餅を1俵から5升に減らして作成した。本資料には、その記録が残る。なお、昭和22年(1947)から1俵に戻されている。
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