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北近江豊臣博覧会関連コーナー展示「秀吉をめぐる人々」①秀吉・秀長兄弟が仕えた織田信長と織田家の人々
コーナー展示
2025.12.11〜2026.02.15
会期:令和7年(2025)12月11日(木)~令和8年(2026)2月15日(日)
開催趣旨
令和8年(2026)、1月からいよいよ豊臣秀長とその兄・秀吉を主人公にした大河ドラマの放送が始まります。そして、長浜市では、2月から「北近江豊臣博覧会」が開幕します。これに先駆け、3階のテーマ展では、秀吉・秀長と交流のあった人物にスポットを当てたテーマ展を全2回に分けて開催します。
第1回目は、若き日の秀長と秀吉が仕えた織田信長と織田家の人物に関する資料を紹介します。
主な展示資料

織田信長朱印状 藤八宛 永禄11年(1568)2月 本館蔵
織田信長が藤八という人物に所有する田を安堵した書状。信長が尾張、美濃を領有していた永禄11年に出されたものであるが、藤八の詳細は不明。本書には「天下布武」の朱印が押されており、この天下とは、将軍が治める五畿内(大和、山城、和泉、河内、摂津)のことで、朱印は、室町幕府再興という意味をもつとされている。

本朝名将百図のうち織田信忠 江戸時代(19世紀) 本館蔵
100人の武将の姿を2巻にわたり描いた図巻のうち織田信忠を描いたもの。信忠は、信長の嫡男であり、織田軍の武将として各地を転戦し、天正3年(1575)には信長から家督を譲られている。天正10年(1582)、信忠は織田軍の先陣として甲斐に攻め込み、武田家滅亡に武功を挙げるなど活躍するが、同年6月に起こった本能寺の変にて明智軍に攻められ二条城で没した。

織田信孝判物 中井忠三宛 天正10年(1582)10月8日 本館蔵
織田信長の3男である信孝が、美濃の地侍で、信長にも仕えた中井忠三に宛てた書状。本能寺の変後、信孝は美濃を得て岐阜城主となっており、本書では中井家代々の所領があった美濃の土地や俸禄を与えることを伝えている。
その後、信孝は柴田勝家とともに、織田家の家督を巡り、兄の信雄に付いた秀吉と戦うがこれに破れ、天正11年(1583)に自害した。