コーナー展示「湖北の土豪 ② 下坂家」

コーナー展示
2025.06.05〜08.03

会期:令和7年(2025)6月5日(木)~8月3日(日)
開催趣旨

 下坂家は、元々高島郡田中郷(高島市安曇川町)に居住した武士で、後に下坂郷(のちの下坂庄)へ移住し、代々下坂中村(長浜市下坂中町)を拠点としました。下坂家に伝わった「下坂家文書」(当館蔵)の中には、建武3年(1336)に、室町幕府初代将軍となる足利尊氏の弟である足利直義が下坂治部左衛門重茂に宛てた感状が伝わっており、この頃には、尊氏に味方して、各地の戦で活躍していたことが知られます。
 室町時代後期には、下坂氏は、湖北を支配した京極氏、そして京極氏に代わって当地域の実権を握った浅井氏のもと、国人領主として下坂の地を支配しました。元亀元年(1570)6月、浅井長政と織田信長が戦った姉川の合戦が勃発します。これ以降、湖北地域は浅井軍と織田軍の戦いの舞台となりました。こうした状況下で、下坂四郎三郎は長政に味方し、浅井氏の居城である小谷に籠城し、織田軍と戦ったことが、長政が四郎三郎に宛てた書状から知られます。
 浅井氏滅亡後、下坂氏は帰農したとみられますが、その後も地元の有力者であり、坂本龍馬とも交流のあった幕末の志士・板倉槐堂と江馬天江の兄弟(共に下坂家から養子に出たため苗字が異なる)が下坂家から出ています。

 

主な展示資料
 
足利直義感状 下坂治部左衛門宛
 
足利直義感状 下坂治部左衛門宛

長浜市指定文化財 建武3年(1336)7月25日 当館蔵(下坂家文書)

  足利尊氏の弟であり、尊氏とともに鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府の設立に貢献した足利直義が、建武3年(1336)7月25日に下坂治部左衛門に宛てた感状で、下坂氏の戦場における働きを称えている。本書によると、「伊祗代宮合戦」(草津市)で治部左衛門の親類である新兵衛尉重宗が討死し、「法勝寺合戦」(米原市)で舎弟の三郎貞兼が負傷、「西坂本北尾」(京都市)で若党が負傷したとある。「伊祗代宮合戦」は、延元元年(1336)1月に起こった、関東から京都へ向かう尊氏が延暦寺の僧兵らを攻め落とした戦いであり、下坂氏が足利方に付いて、滋賀や京都周辺で戦っていたことがわかる。